広永村(読み)ひろながむら

日本歴史地名大系 「広永村」の解説

広永村
ひろながむら

[現在地名]四日市市広永町・黄金こがね

朝明あさけ川の北岸に位置し、北は低い丘陵、対岸川北かわきた村。中世では弘永と記す。「神鳳鈔」に「弘永御厨六十丁」とある。建治三年(一二七七)五月日の大中臣隆有申状(兼仲卿記裏文書)は、名主為泉兵衛入道是心なる者が、隆有の「展(転カ)相承」の朝明御園の納所年貢・納米を抑留したことを訴えたものである。申状によれば是心は、朝明御園納所を「弘永御厨之由掠申」して年貢・納米を対捍したとされているから、弘永御厨は是心の所領であったと考えられる。隆有の訴えを朝廷に取次いだ同年五月二九日の祭主大中臣隆蔭挙状(同文書)にも「権少副隆有朝臣申為泉兵衛入道是(心カ)乍為名主百姓身、対捍伊勢国朝明郡□内千与田納所年貢・納米由事、(中略)千与田納所者、可為祭主分附之地、非弘永内候」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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