広瀬寺(読み)ひろせでら

日本歴史地名大系 「広瀬寺」の解説

広瀬寺
ひろせでら

[現在地名]広陵町寺戸

中世まで存在が知られる寺院。広湍寺とも記された。金光明こんこうみよう寺写経所の天平一九年(七四七)三月七日の常疏写納并櫃乗次第帳(正倉院文書)のうち、間本借置第六櫃条に「一切経要集卅一巻広瀬寺」とあるのがその初見。広瀬寺的場まとば大福だいふく寺蔵の箸尾満嶋弁才天瑞夢記(文安元年写本)に「古老伝え云ふ。推古天皇の御宇に、大和国広瀬郡寺本の村に、聖徳太子伽藍を建て給ふ。広湍寺と名づく。彼の寺の東方六町の内に太子同じく地を卜して、壟を築きて宇賀神を崇め給ふ」とあり、条里坪付により寺本てらもとの広湍寺の寺地寺戸てらどにあったことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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