広瀬淡窓墓(読み)ひろせたんそうのはか

国指定史跡ガイド 「広瀬淡窓墓」の解説

ひろせたんそうのはか【広瀬淡窓墓】


大分県日田市南豆田にある墓所。江戸時代後期の儒学者で教育者の広瀬淡窓の墓。淡窓は1782年(天明2)、日田郡豆田町魚町(現日田市豆田町)の広瀬宗家第5代、三郎右衛門の長男として生誕。小さいときから学問を好み、病身であったため、第6代を弟の久兵衛に譲り、学問と教育に生涯をささげることになった。1807年(文化4)、26歳で桂林荘(けいりんそう)を開塾し、1817年(文化14)に移築して咸宜園(かんぎえん)と改称。以後、塾は旭荘(きょくそう)、青邨(せいそん)、林外(りんがい)、濠田(ごうでん)らに受け継がれ、約90年間で全国65ヵ国から門弟が集まり、延べ4000人を超える人材を育成。淡窓は1856年(安政3)、75歳で没したが、墓所は生前に広瀬家とは別の墓地を選び、長生園(ちょうせいえん)と名付けていた。近世教育史に大きな足跡を残した人物の墓として、1948年(昭和23)に国の史跡に指定。長生園には中央に「文玄(ぶんげん)広瀬先生之墓」と刻まれた淡窓の墓、その他、淡窓一門と家族の墓がある。JR久大本線日田駅から徒歩約25分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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