コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

咸宜園 かんぎえん

5件 の用語解説(咸宜園の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

咸宜園
かんぎえん

文化14(1817)年,広瀬淡窓が豊後国(大分県)日田郡堀田村に開いた私塾。淡窓は最初,成章舎という漢学塾を開いていたが,同 4年これを日田浦町に移して桂林荘,さらに堀田村に移して咸宜園と改称した。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

かんぎ‐えん〔‐ヱン〕【咸宜園】

文化14年(1817)、広瀬淡窓(ひろせたんそう)が郷里である豊後(ぶんご)の日田に開いた私塾。大村益次郎高野長英らが学んだ。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

咸宜園【かんぎえん】

広瀬淡窓(ひろせたんそう)の開いた私塾。1805年豊後(ぷんご)国日田(ひた)に私塾を開いた淡窓は,1817年塾舎を隣接する堀田(ほりた)村に移して咸宜園とした。
→関連項目私塾日田[市]

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

大辞林 第三版の解説

かんぎえん【咸宜園】

広瀬淡窓たんそうが1817年豊後日田郡堀田村に開いた私塾。広く庶民に開放し、一時は門人三千人にも達した。大村益次郎・高野長英・長三洲らもここに学んだ。1893年(明治26)まで存続。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

咸宜園
かんぎえん

江戸後期の教育家広瀬淡窓(たんそう)が、1817年(文化14)にその郷里豊後(ぶんご)国日田(大分県日田市)に創設した学塾。前身を桂林荘(けいりんそう)、そのまた前身を成章舎といった。咸宜園の「咸宜」は『詩経』にある文字で、「コトゴトクヨロシ」「ミナヨロシ」と訓(よ)む。この「コトゴトクヨロシ」「ミナヨロシ」というところに淡窓の教育精神が端的に示されている。すなわち、第一に、それにはなんぴとの入門をも拒まないという精神が打ち出されており、士農工商の各階層に開放された。第二に、咸宜には個性尊重の精神が含意されている。咸宜園の学級制度は、無級から始まり、順次一級から九級まで昇級するようになっていたが、その各級がまた上下に分かれていたので、結局、全部で19級あった。入門者は学力、年齢、地位のいかんを問わず、まず無級に入れられたが、これを三奪(さんだつ)法と称した。この三奪法に、淡窓の公平無私な教育精神がくみ取られよう。
 咸宜園は淡窓の没後も弟子に引き継がれて、1893年(明治26)まで続く。最盛期には門人3000人を超え、高野長英(ちょうえい)、大村益次郎(ますじろう)、長三洲(ちょうさんしゅう)、大隈言通(おおくまことみち)、羽倉簡堂(はくらかんどう)らを輩出した。[古川哲史]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の咸宜園の言及

【日田[市]】より

…近年はボーリングによる温泉(日田温泉)も湧出。このほか私塾咸宜(かんぎ)園跡や月隈(つきくま)城跡,日隈(ひのくま)城跡などの史跡にも恵まれ,耶馬日田英彦山(やばひたひこさん)国定公園の一部になっている。市北郊の小鹿田(おんた)(皿山)は柳宗悦が見いだした〈民陶の里〉として知られ,1705年(宝暦2)筑前国小石原(こいしばる)村から伝えられたとされる打刷毛模様や点線模様に特色をもつ小鹿田焼を産する。…

【広瀬淡窓】より

…豊後日田(ひた)の人。筑前福岡の亀井南冥(なんめい)・昭陽(しようよう)父子について儒学を学び,日田にもどって私塾咸宜園(かんぎえん)を開いた。篤実な人格と,今日のカリキュラムや成績表に相当する制度を取り入れた進歩的な教育方針とによって,咸宜園の名声はしだいに高くなり,塾生は全国から集まり,その数は延べ3000人をこえたという。…

※「咸宜園」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

咸宜園の関連キーワード赤松秋錦西島青浦大隈言足広瀬日田祖父谷紙島根県安来市広瀬町広瀬広瀬秋子広瀬久兵衛松森三朴

今日のキーワード

パラチオン、パラチオンメチル

パラチオンは無色で油状の液体、パラチオンメチルはコハク色の液体。ともに毒性が強く、有機リン系殺虫剤として使用された。50年代以降、稲の害虫被害を防ぐことが確認され、広く導入された。しかし、農民の中毒死...

続きを読む

コトバンク for iPhone

咸宜園の関連情報