康兆(読み)こうちょう(その他表記)Kang Cho

改訂新版 世界大百科事典 「康兆」の意味・わかりやすい解説

康兆 (こうちょう)
Kang Cho
生没年:?-1010

朝鮮高麗政治家。1009年(穆宗12),穆宗(ぼくそう)の母である千秋太后と通じた金致陽が王位を奪おうとすると,西北面都巡検使康兆は5000の兵を率いて上京し,穆宗を廃して金致陽父子を殺害した。代わって擁立されたのが顕宗であり,穆宗も忠州に移される途中で殺害された。翌年契丹がこのいわゆる〈康兆の変〉を口実にして高麗を侵略すると,康兆は30万の兵を率いて迎え撃ったが,ついに捕らえられて殺害された。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

関連語 浜中

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む