日本歴史地名大系 「式部町」の解説 式部町しきぶちよう 京都市:中京区生祥学区式部町中京区寺町通六角下ル西側南北に通る寺町(てらまち)通(旧東京極大路)に面する片側町。町の南側は蛸薬師(たこやくし)通。平安京の条坊では、左京四条四坊四保一五町東側の地。平安中期以降は四条坊門東京極大路の南にあたる。平安後期歌人藤原家隆の父光隆の邸がこの町を中心に伊勢屋(いせや)町にかけて所在した(拾芥抄)。室町時代嘉慶二年(一三八八)の祇園社御燈所京都敷地事(八坂神社文書)に「一、四条坊門京極北東頬」とあり、祇園社灯料所となっていたことが知られる。町名は、寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「和泉式部町」、正徳五年(一七一五)刊「都すゞめ案内者」・宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」に「和泉式部前町」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by