日本歴史地名大系 「弓槻村」の解説 弓槻村ゆづきむら 京都府:北桑田郡京北町弓槻村[現在地名]京北町大字弓槻宇津(うつ)七ヵ村の一。大堰(おおい)川沿岸の山間集落で、北は柏原(かしばら)村、南は細川(ほそかわ)の長野(ながの)村、川の下流(西)は栃本(とちもと)村。古代は「和名抄」に記す有頭(うつ)郷に属し、のち宇都(うつ)庄(吉富本庄)に含まれる。慶長七年(一六〇二)幕府領、寛文四年(一六六四)以降園部藩領となる。元禄一三年(一七〇〇)丹波国郷帳によると、村高七一石余。明和七年(一七七〇)には本年貢の免率七割六分六厘というが定免ではない。小物成として茶役銀五〇匁五分八厘、藪役銀四匁三分一厘、山役銀五貫七一三匁、網役銀一〇匁、松茸銀三匁二四分、糠藁銀三七匁四〇分が課されている(大正一二年「京都府北桑田郡誌」)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by