日本歴史地名大系 「引摂院」の解説 引摂院いんじよういん 和歌山県:伊都郡高野町高野山本中院谷引摂院[現在地名]高野町高野山引接院とも書いた。谷上院(たにがみいん)谷の三蔵(さんぞう)院の西にあったが(文化一〇年高野山細見絵図)、明治初め南(みなみ)谷旧南(なん)院敷地内に移り、明治末期には本中院(ほんちゆういん)谷遍明(へんみよう)院の建物を引継いで引摂院としたが、現在は龍光(りゆうこう)院に名跡を残し、同院西の旧瑜祇(ゆぎ)塔跡地を敷地にあてている。本尊阿弥陀如来。鎌倉時代の信堅院号帳、文明五年(一四七三)の諸院家帳にはともに花蔵院宮聖恵親王の建立とし、「諸院家析負輯」所収の当院過去帳には「当院本願三品親王聖恵 保延三丁巳年二月十日白川院第五王子而世称花蔵院宮(中略)大治五年於金剛心院境内草創一宇号引接院」と記す。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by