弘瀬健太 ひろせ-けんた
1836-1863 幕末の武士。
天保(てんぽう)7年生まれ。土佐高知藩士。文久元年土佐勤王党に参加。2年勅使三条実美(さねとみ)に随行して江戸へおもむく。同年横浜外人居留地焼き討ち計画にくわわり,12月には間崎滄浪(そうろう)らと青蓮院宮(しょうれんいんのみや)(朝彦親王)の令旨をうけて藩政改革をくわだてたが,前藩主山内豊信(とよしげ)(容堂)の怒りにふれて捕らえられた。文久3年6月8日切腹。28歳。名は年定。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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