精選版 日本国語大辞典 「朝彦親王」の意味・読み・例文・類語
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(井上勲)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
伏見宮邦家親王の王子。仁孝天皇の養子として親王宣下を受ける。幼少のとき出家,初め一乗院,ついで青蓮院の門跡となる。法名は尊融(初め尊応)。安政の大獄に座して永蟄居の処分を受けたが,1862年(文久2)国事御用掛となって朝政に参画,翌年特旨により還俗して中川宮(のち賀陽宮(かやのみや))と称した。時に長州藩を中心とした尊攘派の勢力が強盛で,大和行幸に名をかりて討幕を企てるに至るや,親王は同年8月内勅を奉じ,会津・鹿児島2藩と協力してこれを阻止し,その勢力を京都から一掃した(文久3年8月18日の政変)。この後ますます孝明天皇の信任が厚く,公武合体派の重鎮として活躍した。維新後,反政府運動の嫌疑で一時広島藩に幽閉されたが,75年親王に復し,一家の創立を許されて新宮号を久邇宮(くにのみや)と称した。同年神宮祭主となり,死去まで在職した。日記に幕末史料として重要な《朝彦親王日記》がある。
執筆者:武部 敏夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
幕末期、公武合体派の中心人物の一人。伏見宮(ふしみのみや)邦家(くにいえ)親王第4王子で、1836年(天保7)仁孝(にんこう)天皇の養子。名は成憲(なりのり)、のち朝彦。粟田口(あわたぐち)の青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)となり、尊融(そんゆう)と称し、天台座主(ざす)に補せられた。青蓮院宮、粟田宮、中川宮、尹(いん)宮、賀陽(かや)宮などともいい、1875年(明治8)久邇(くに)宮と称した。安政(あんせい)の大獄では一橋(ひとつばし)派を支持して処罰され、文久(ぶんきゅう)期(1861~1864)には国事御用掛となり、公武合体派の重鎮として「文久三年八月十八日の政変」を推進、孝明(こうめい)天皇の信任が厚かった。しかし、天皇の急死、「王政復古」で政治生命は断たれた。1868年(明治1)には嫌疑を受けて広島へ謫居(たっきょ)、1870年京都帰住、1875年から神宮祭主となり、以後伊勢(いせ)神宮の古儀、旧典の調査、考証に努めた。『日本史籍協会叢書(そうしょ) 朝彦親王日記』2巻(復刻・1969・東京大学出版会)は、幕末活躍期の日記である。
[田中 彰]
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