日本歴史地名大系 「彦野内村」の解説 彦野内村ひこのうちむら 大分県:津久見市彦野内村[現在地名]津久見市文京町(ぶんきようまち)、津久見 彦ノ内・路木(ろぎ)・原(はる)・谷川(たにがわ)・千怒越(ちぬごえ)・中津留(なかつる)・成守(なりもり)中田(なかだ)村の東、津久見川の支流彦ノ内川流域に位置し、東は千怒(ちぬ)村、北は岩屋(いわや)村。江戸時代は佐伯藩領津久見村組を構成する一村であった。慶長一三年(一六〇八)毛利高政は「ひこの内村」の善内・おとな百姓・小百姓中に対し年貢未進のための出奉公による農村荒廃を厳禁することと合せて、荒地開墾、走百姓の還住を含む他所他国農民の呼寄せなどを命じている(同年一二月六日「毛利高政触書」西郷家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報