日本歴史地名大系 「影木村」の解説 影木村かげのきむら 大分県:大野郡大野町影木村[現在地名]大野町田中(たなか) 南(みなみ)・北(きた)藤北(ふじきた)村の南、東を茜(あかね)川、西を田代(たしろ)川に挟まれた台地上にある。「豊後国志」には菅田(すげた)村の支村として影之木とある。旧高旧領取調帳では高七八石余。安永七年(一七七八)には田中組に属した(大庄屋・小庄屋・横目一覧「農民一揆」所収)。 影木村かげのきむら 大分県:大分市旧大南町地区影木村[現在地名]大分市上戸次(かみへつぎ) 影ノ木大塔(おおとう)村の南にあり、同村から南向してきた日向道が当村を通って寒田(そうだ)村(現野津町)に向かう。江戸時代を通じて臼杵藩領で、正保二年(一六四五)の稲葉能登守知行高付帳に村名がみえ本高七四石余・出来高二二石余、田高四六石余・畑高四九石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by