日本歴史地名大系 「戸次庄」の解説
戸次庄
へつぎのしよう
- 大分県:大分市
- 戸次庄
〔成立と伝領〕
治承四年(一一八〇)五月一一日の皇嘉門院惣処分状(九条家文書)に
宗子は娘の皇嘉門院藤原聖子にこれを譲り、聖子から甥にあたる良通(九条兼実長男)に譲られた。しかし良通が早世したため一時兼実に付託された。元久元年(一二〇四)四月二三日兼実は最勝金剛院領の当庄を息女宜秋門院任子に譲与し、女院の死後は孫の道家に譲ると定めている(「九条兼実置文」九条家文書)。道家からは九条禅尼(道家の子教実の妻恩子)に譲られ、一期の後は教実息女宜仁門院彦子に譲り、さらにその後は宜仁門院の甥に当たる忠教(教実の孫)へ譲るよう定められている(建長二年一一月日「九条道家惣処分状」九条家文書)。豊後国弘安図田帳には「戸次庄九十町 本家宜秋門院御跡」とあるが、鎌倉時代を通じて九条家領であったのは領家職で、建武三年(一三三六)八月二四日道家(忠教の曾孫)は豊後国臼杵戸次庄領家職の安堵を申請している(「九条道教家領目録案」同文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報