日本歴史地名大系 「戸次村」の解説 戸次村とつぎむら 熊本県:菊池郡菊陽町戸次村[現在地名]菊陽町戸次馬場楠(ばばぐす)村の東にあり、集落は白川中流左岸の平地の字屋敷と白水(はくすい)台地北縁部の字年ノ神に立地する。二つの集落の比高は約三〇メートルで、下(した)村・上(うえ)村の呼名がある。慶長国絵図に村名がみえ、正保郷帳によると、高四五三石三斗余はすべて畠方。上益城(かみましき)郡沼山津手永に属した。「国志草稿」に高六二六石余とあり、「肥陽諸士鑑」(「肥後細川家侍帳」所収)によると、三五〇石二斗余は旅家老三宅藤右衛門時暉の知行。文化八年(一八一一)の沼山津手永略手鑑では竈数七五・男女数三四九、牛馬八三、畑四五町九反四畝余・高六二六石五斗余、ほかに新地畑二八町六反八畝余、商札・馬口労札・大工札・石工札各一枚が許されていた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by