役内村(読み)やくないむら

日本歴史地名大系 「役内村」の解説

役内村
やくないむら

[現在地名]雄勝町あきみや 役内

神室かむろ山の北麓の緩斜面に位置し、役内川上流に沿う。南は支郷のたい村を経て仙台藩領栗原郡鬼首おにこうべ(現宮城県玉造郡鳴子町)、西は新庄藩領最上もがみ有屋ありや(現山形県最上郡金山町)へ通じる。北は川井かわい村と接し、東は高松たかまつ(一三四八メートル)を越えて小安おやす温泉(現皆瀬みなせ村)に至る。

天正一八年(一五九〇)頃と思われる「御年貢取り立て等その日記共の写」(色部文書)に「最上へ渡分、八口内」とあり、一六世紀末最上氏が年貢取立てを請け負っている。「柞山峯之嵐」の伝えるところでは「八口内要害」には「最上境目鮭登城主佐々木典膳、金山城主丹与三左衛門か押」として小野寺氏の家臣尾張守平定冬が配されていたが、文禄二年(一五九三)佐々木典膳に攻められ討死し、最上の支配下に入ったという。

正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に高の記載はなく、なか村のうち役内村とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報