日本歴史地名大系 「後平野」の解説 後平野ちくごへいや 福岡県:総論後平野筑後川流域から有明海沿岸にかけて広がる筑紫(ちくし)平野のうち、主として福岡県側を筑後平野とよぶ。なお佐賀県側は佐賀平野とよぶ。筑後平野は久留米市付近から筑後川上流側に開ける盆地状の北野(きたの)平野(筑後川中流平野ともいう)、久留米市付近以南の筑後川下流域から大牟田市までの有明海沿岸低地と矢部(やべ)川沿岸低地からなる南筑(なんちく)平野とに二分され、台地・低地・干拓地が複合した平野である。北野平野は北東部を筑紫山地南部の古処(こしよ)山地、西部を筑紫山地西部の背振(せふり)山地、南部を耳納(みのう)山地に囲まれ、東西約三三キロ・南北約二二キロに達する直角三角形状の盆地状の平野である。筑紫野(ちくしの)市・久留米市・朝倉(あさくら)郡杷木(はき)町が北野平野の三角形の頂点の位置にある。背振山地東麓にある三養基(みやき)郡基山(きやま)町と鳥栖市東部の低地は佐賀県内であるが、北野平野に含まれる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by