日本大百科全書(ニッポニカ) 「筑後平野」の意味・わかりやすい解説
筑後平野
ちくごへいや
福岡県南部、有明(ありあけ)海に臨み、筑後川、矢部川(やべがわ)の中・下流に広がる福岡県側の平野の総称。筑後川右岸の佐賀県側を佐賀平野といい、これをあわせて筑紫平野(つくしへいや)とよぶ。耳納山地(みのうさんち)により北部の両筑平野(りょうちくへいや)(北野平野(きたのへいや))と南部の南筑平野(なんちくへいや)(柳川平野(やながわへいや))とに分けられる。両筑平野は、耳納山地・三郡(さんぐん)山地の断層崖(がい)下に発達した扇状地と筑後川支流の沖積平野からなり、南筑平野は東部の低い洪積台地と、筑後川と矢部川がつくった沖積平野からなり、有明海沿岸には17世紀以降干拓地が造成されてきた。ほぼ全域で条里制の遺構がみられ、古代から農業が盛んで、土地利用は水田が圧倒的であるが、両筑平野では田主丸(たぬしまる)付近の苗木栽培、南筑平野の八女(やめ)付近の茶などのほか、園芸農業、酪農などの畜産業も盛んである。とくに南筑平野は米作の裏作としてのイグサ栽培が盛んで、用排水路としてクリーク網が発達。久留米(くるめ)、大牟田(おおむた)などが中心都市で人口密度も高い。
[石黒正紀]