コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

後藤光乗 ごとう こうじょう

2件 の用語解説(後藤光乗の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

後藤光乗 ごとう-こうじょう

1529-1620 戦国-江戸時代前期の装剣金工。
享禄(きょうろく)2年生まれ。後藤乗真の長男。後藤宗家4代。父の死後豊後(ぶんご)(大分県)にうつるが,京都にもどり織田信長につかえる。天正(てんしょう)9年信長に,10年豊臣秀吉に大判と分銅(ふんどう)製作の役を命じられた。法眼(ほうげん)。元和(げんな)6年3月14日死去。92歳。名は光家。通称は四郎兵衛

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

後藤光乗

没年:元和6(1620)
生年:享禄2(1529)
室町・安土桃山時代の彫金家。後藤家3代目乗真の嫡男。京都生まれ。幼名は小一郎,のちに亀市,四郎兵衛と称した。父乗真が永禄5(1562)年に戦死したのち,母(あるいは妻とも)の郷里の縁で豊後国丹羽村(大分県)に移り住んだ。元亀2(1571)年京都に戻り織田信長に仕え,出家し光乗を名乗った。天正9(1581)年には信長より,翌10年には秀吉より大判および分銅の役を命ぜられた。元和3(1617)年には宮中で後水尾天皇に彫技を披露し法眼に叙位された。京都の具足山妙覚寺に葬られた。

(加島勝)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

後藤光乗の関連キーワード道恵文閑山岡如軒安土桃山時代町彫奏者横目付後藤家彫寺預け後藤光正

今日のキーワード

平野美宇

卓球選手。2000年4月14日、静岡県生まれ、山梨県育ち。3歳で卓球を開始。07年に小学1年生で全日本選手権大会バンビの部優勝、09年に小学2年生で同大会ジュニアの部初出場を果たし、注目を集めた。13...

続きを読む

コトバンク for iPhone