後藤夜半(読み)ゴトウ ヤハン

20世紀日本人名事典 「後藤夜半」の解説

後藤 夜半
ゴトウ ヤハン

大正・昭和期の俳人



生年
明治28(1895)年1月30日

没年
昭和51(1976)年8月29日

出生地
大阪府大阪市

本名
後藤 潤

学歴〔年〕
泊園書院卒

経歴
証券会社に勤務するかたわら句作をし、大正12年「ホトトギス」に投句、昭和7年同人となり、15年「翠黛」を刊行。23年「花鳥集」を刊行し、28年「諷詠」と改題する。他の句集に「青き獅子」「彩色」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「後藤夜半」の解説

後藤夜半 ごとう-やはん

1895-1976 大正-昭和時代の俳人。
明治28年1月30日生まれ。後藤得三,喜多実(きた-みのる)の兄。証券会社に勤務のかたわら,大正12年から高浜虚子(きょし)に師事し,昭和7年「ホトトギス」同人。23年「花鳥集」(のち「諷詠」)を創刊,主宰した。昭和51年8月29日死去。81歳。大阪出身。泊園書院卒。本名は潤。句集に「青き獅子(しし)」「彩色」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「後藤夜半」の解説

後藤 夜半 (ごとう やはん)

生年月日:1895年1月30日
大正時代;昭和時代の俳人
1976年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

ドクターイエロー

《〈和〉doctor+yellow》新幹線の区間を走行しながら線路状態などを点検する車両。監視カメラやレーザー式センサーを備え、時速250キロ以上で走行することができる。名称は、車体が黄色(イエロー)...

ドクターイエローの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android