20世紀日本人名事典 「後藤映範」の解説 後藤 映範ゴトウ エイハン 昭和期の陸軍軍人 生年明治42(1909)年 没年昭和21(1946)年 出生地大分県 学歴〔年〕陸士中退 経歴5・15事件の参加者。第45連隊当時、菅波三郎中尉に私淑し、その影響下で国体研究に没頭。「日本改造法案」「自治民範」「日本精神の研究」などを愛読し、仲間の間では“今松陰”と呼ばれる。昭和7年5・15事件では士官候補生12名の一人として参加、首相官邸を襲撃した。同年5月陸士退校、士官候補生を免ぜられる。翌8年第1師団軍法会議において禁錮4年の判決を受けた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「後藤映範」の解説 後藤映範 ごとう-えいはん 1909-1946 昭和時代前期の軍人。明治42年1月29日生まれ。陸軍歩兵第四十五連隊にはいり,のち陸軍士官学校でまなぶ。菅波三郎中尉に影響され,国体研究にはげむ。昭和7年五・一五事件に士官候補生のひとりとして参加し,首相官邸を襲撃,退校となる。翌年禁固4年の判決をうけた。昭和21年5月16日死去。38歳。大分県出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例