改訂新版 世界大百科事典 「徐鉉」の意味・わかりやすい解説
徐鉉 (じょげん)
Xú Xuàn
生没年:916-991
中国,南唐・宋の文学者。揚州(江蘇省)の人。字は鼎臣。徐鍇(じよかい)の兄。初め呉,ついで南唐に仕え,翰林学士,御史大夫,吏部尚書などを歴任し,南唐滅亡後,宋に召され,太宗に仕えて左散騎常侍となった。弟徐鍇とともに文字の学にくわしく,八分(はつぷん)や小篆(しようてん)をよく書き,世に〈二徐〉と称せられた。兄弟はいずれも漢の許慎の《説文解字》を研究し,兄鉉は986年(雍熙3),勅命を奉じて《説文解字》を校定し,その定本をつくった。これが今日通行の《説文解字》15巻である。徐鉉はまた詩文にも長じていた。《徐騎省集》30巻のほか,怪異をしるした《稽神録》6巻などがある。
弟の徐鍇(920-974)は,字は楚金。兄徐鉉とともに南唐に仕えて集賢殿学士にまでなったが,南唐滅亡後,憂憤して死んだ。《説文解字繫伝(せつもんかいじけいでん)》40巻を完成し,また《説文解字》の文字を四声によって配列した《説文解字韻譜》をつくっている。
執筆者:外山 軍治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報