単に《説文》ともいう。中国で漢字の構成すなわち〈六書(りくしよ)〉に従ってその原義を論ずることを体系的に試みた最初の字書。後漢の許慎の著。〈後叙〉と呼ばれる序文1篇をあわせて全15編。〈一〉の部に始まって,十二支最後の〈亥〉の字に終わる540部に分かれる。配列の順序は〈一〉の次は〈二〉,その次は〈示〉というように,字形上の連鎖感を配慮しながら,また十二支所属の文字が最後にまとめて置かれるなど,当時中国で普通に人のいだいていた宇宙構成に関する思考をも重ね合わせて決められたものである。当時最も公式の字体であった〈小篆(しようてん)〉を親字に,最古の字体で小篆などの祖であると信ぜられていた〈古文〉,それにおくれ,やや変改を受けたものとされていた〈大篆〉すなわち〈籀文(ちゆうぶん)〉,以上2種類の字体が,親字である小篆の字体と異なるときには〈重文〉すなわち重複の文字として付録した。親字の小篆の数9353字,重文は1163字。解説の文字は13万3441字と〈後叙〉には見えるが,いずれも今のテキストと合わない。解説は今普通に〈説解〉と呼ばれる。例を示せば,〈示,天象を垂れて吉凶を見(あらわ)す。人に示す所以(ゆえん)なり。二と三つの垂れに从(したが)う,日・月・星なり。天文に観て以て時変を察す。神事を示すなり〉。最初の〈示〉が親字で小篆によってあらわされ,以下が説解である。〈二と三つの垂れに从う〉というのが〈示〉の字形の説明で,〈小〉の部分は〈日・月・星〉だというのである。当時でも文字の種別として最も多いのは〈形声文字〉つまり〈江〉〈河〉のように,一方が部首としてその帰属を,一方が〈工〉〈可〉のようにその読みを示すという構成の文字であり,そのタイプの文字の説解は〈水に从う工の声〉というのが規準であった。つまり《説文》は,収容字の最も高いパーセンテージにおいて,字形を説きながら,現実にはその字音にも触れる形になっていた。さきに引く〈示〉はこのタイプの文字ではないが,〈示〉を2度繰り返して使うのは,文字の音声面を重視して,〈示〉というときのあの〈示〉なのだといおうとしていると思われる。
完全な本としては宋の徐鉉(じよげん)・徐鍇(かい)の兄弟が別々に校訂した大徐本,小徐本(《説文解字繫(けい)伝》)という二つの,細部に異同のあるテキストがあるが,徐鍇が音引きに改編した《説文解字篆韻譜》などの便利さによって駆逐され忘れられていった。明末に再発掘されてから以後多くの研究を生んだ。清代注釈のおもなものは,丁福保編《説文解字詁林》に収められているが,うち段玉裁《説文解字注》が最もすぐれている。清末以来甲骨文,金文などの新資料が大量にあらわれたのに諸学者がその事態に対応できたのは,それまでの説文学の蓄積があったためである。断片的には〈木〉の部のごく一部など,唐写本と称するものがあるが,それもすでに反切が付けられていて,原本とはおそらくかなり隔たったものであろう。
執筆者:尾崎 雄二郎
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中国、後漢(ごかん)の字書。略称『説文』。15編。許慎(きょしん)の著。永元12年(西暦100)の自序があり、字形によって分類した最古の字書。著者は秦(しん)(前3世紀)以前の文字を広く収集し、基本となる9353字、および異体字1163字を得、これを六書(りくしょ)の原理で分析し、540部に分類し、一文字ごとに説明・解釈を施して本書とした。基本となる文字は小篆(しょうてん)の字体であり、異体字は小篆のほかに、それ以前の字体のものを含む。「六書」とは、指事、象形、形声、会意、転注、仮借(かしゃ)をいい、このうち前四者が文字の構成要素の分析に用いられた(後二者は文字の運用法)。本書の540部は後世しだいに整理合併され、『康煕字典(こうきじてん)』では214部となるが、部分けの原則は本書以来、変わっていない。ただし、小篆の字体は筆画を数えることができないので、本書の部のなかの文字は、意味の関連で並べたものである。本書は北宋(ほくそう)の初め徐鉉(じょげん)が校訂したが、それに先だって弟の徐鍇(かい)が校訂・注釈を加えた。この兄弟それぞれの仕事が後世に伝わり、清(しん)代には先秦の文献の解明に必須(ひっす)の書として重んぜられ、幾多の注釈が現れた。なかでも段玉裁『説文解字注』(略称『説文段注』)がもっとも著名である。近年、甲骨文字が発見されて以来、本書の分析の不備が強調されるが、それは、本書が文字の書として基本的なものであることを前提としての論であり、本書の価値をすこしも減ずるものではない。
[頼 惟勤]
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…これは武帝時代に真の統一国家が完成し,中国が未曾有の版図を有して東アジアの一大中心となったという意識が,過去の歴史や文化を総括して新しい時代に対応する哲学的・歴史的解釈を導き出そうとする意識となって自覚されたものにほかならない。このように統一国家の出現を背景として顕著になる文化の統合主義には淮南王劉安が数千人の学者を動員して学問と知識の総合をはかった《淮南子(えなんじ)》の編纂があり,また劉向(りゆうきよう)・劉歆(りゆうきん)父子による中国最初の総合図書目録である《七略》(原本は佚す)や許慎による中国最初の字書の《説文解字(せつもんかいじ)》などもこの範疇に属する。さらに科学の方面に目をうつすと,暦法では司馬遷の太初暦とそれを改良した劉歆の三統暦,数学では《九章算術》,医学では《黄帝内経(こうていだいけい)》や張機の《傷寒論》などがある。…
…それに,これもそうした歴史的な慣習の問題だが,そういうふうに,現在的意味で確実に辞書,辞典でありうるものを含まぬ反面,この〈字書〉という分類は,逆に現在普通にいう辞書とはやや遠いものを含むこともある。《四庫全書総目》の〈小学〉類は,第1類〈訓詁〉,第2類〈字書〉,第3類〈韻書〉の3類に分かれているが,〈字書〉というときこの第2類に含まれる(1)識字教科書としての分類語彙集=《史籀(しちゆう)篇》《蒼頡(そうけつ)篇》《急就篇》など,(2)字形によって文字を分類解説したもの=《説文解字》《字林》《玉篇》《竜龕手鏡(りようがんしゆきよう)》《類篇》《字彙》《正字通》《康熙字典》など,(3)字体についてその正俗等を規定しようとするもの=《干禄(かんろく)字書》《五経文字》《九経字様》など,等々が〈字書〉と呼ばれるほか,1類から3類まで〈小学〉類に属するもの全体を〈字書〉ということもある。〈字書〉は,したがって広狭2様の場合があることになる。…
…弟徐鍇とともに文字の学にくわしく,八分(はつぷん)や小篆(しようてん)をよく書き,世に〈二徐〉と称せられた。兄弟はいずれも漢の許慎の《説文解字》を研究し,兄鉉は986年(雍熙3),勅命を奉じて《説文解字》を校定し,その定本をつくった。これが今日通行の《説文解字》15巻である。…
… 語彙の分類としては,すでに古代エジプトやメソポタミアに分類語彙集があり,ローマ時代にもポルクスJulius Polluxがギリシア語の《名前の書(オノマスティコン)》を書いている。これは後2世紀であるが,同じころに中国では許慎が9353字を540部に分類した《説文解字(せつもんかいじ)》を完成した。ヨーロッパでは18世紀前半からこの種の書物が出始めて〈シソーラスthesaurus〉と呼ばれた。…
…〈今の〉簡体字は,いわば国定という特定の略字のセットだが,簡体字をそういう〈固有名〉に限らないとすれば,簡体字すなわち略字として,漢字の歴史そのものが,次から次へと作られる簡体字の歴史であったといっていいのである。したがって古代の中国人たとえば《説文解字》の著者許慎なども,はじめに作られた文字は画数の多い〈古文〉であったが,のち文字によっては簡略化され,筆画の少なくなったものが出て来て〈古文〉とは形がちがってくる。それが〈大篆(だいてん)〉あるいは〈籀文(ちゆうぶん)〉であり,日常業務の要求から簡略化が進み〈籀文〉からさえも離れてきたとき,それが〈小篆〉になった,と考えたのである。…
※「説文解字」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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