日本歴史地名大系 「御園郷」の解説 御園郷みそのごう 滋賀県:八日市市御園郷愛知(えち)川南西岸に広がる近世郷で、郷名は中世の柿(かき)御園にちなむ。愛知川下流寄りから、神田(じんでん)・野(の)・外(との)・妙法寺(みようほうじ)・中小路(なこうじ)・河合寺(かわいでら)の六ヵ村からなる御園下郷と、池田(いけだ)・今田居(いまだい)・寺(てら)・岡田(おかだ)・林田(はやしだ)・上(うえ)・横居(よこい)の七ヵ村から構成される御園中郷、杠葉尾(ゆずりお)・蓼畑(たてはた)・萱尾(かやお)・佐目(さめ)・相谷(あいだに)・和南(わなみ)・山上(やまかみ)の七ヵ村(現神崎郡永源寺町)からなる御園上郷に分れていた(木間攫)。中郷・下郷のまとまりが神田村の河桁御河辺(かわけたみかわべ)神社の祭礼にかかわるものであったことは、嘉永二年(一八四九)の御本宮移徙諸入用帳(河桁御河辺神社文書)にこれらの村々が費用の負担をしていることからうかがえる。 御園郷みそのごう 静岡県:浜北市御園郷天竜川右岸の現浜北市東美薗(ひがしみその)・西美薗一帯に比定される中世の郷。古代以来の美園御厨の一部が、室町期以降御園郷として存続したものと考えられる。美園郷ともみえる。現愛知県西尾市の養寿(ようじゆ)寺が所蔵する雲版の表に応永二年(一三九五)三月一八日の紀年と「遠江相良新庄法恩庵」とみえ、裏に永正四年(一五〇七)一一月一五日「遠江州長上郡美園郷高畠村宝聚院常住也」とある。応永三年一二月八日に「美園有玉郷湯屋原住人」昌金が大般若経を書写している(「大般若経奥書」大木信雄氏蔵)。大永六年(一五二六)一二月二八日、今川氏親後室寿桂尼が朝比奈弥次郎泰能に、「遠州みそののうち万石の六郎左衛門屋しき」を砦とするために、屋敷地の諸役を免除している(「寿桂尼朱印状」沢木文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by