御徳村(読み)ごとくむら

日本歴史地名大系 「御徳村」の解説

御徳村
ごとくむら

[現在地名]小竹町御徳

現小竹町の北東部、遠賀おんが川の中流右岸に位置し、南東部を同川支流のくろ川が流れる。北は赤地あかじ村、南は嘉麻かま口原くちのはら(現頴田町)勝野かつの村。元和元―三年(一六一五―一七)豊前国うまたけ(現犀川町)城主長野氏の臣守田中務丞氏則が田地を開墾し、同四年に立村したという(地理全誌)。立村後は福岡藩領であったが、元和九年から延宝五年(一六七七)、元禄元年(一六八八)から享保五年(一七二〇)までは東蓮寺藩(直方藩)領であった。なお「続風土記」には当村枝郷として枇杷びわ(琵琶)村・吉野よしの村が記され、吉野村は中世粥田かいた庄関連の史料に散見する吉野に比定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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