御手洗村
みたらいむら
[現在地名]美濃市御手洗
板取川下流域の右岸段丘面に発達した村で、南部は天王山北麓にあたる。牧谷八郷の一つで、東は神洞村。「和名抄」の武藝郡九郷のうちの御佩郷を「みたらし」と訓じ、村名の由来とする説があるが、異説には当地の真木倉神社の祭神御手洗姫によるともいう。同社蔵の嘉元三年(一三〇五)五月日銘をもつ獅子頭口内墨書銘に「御手洗村」とある。その後、御垂井とも記したようで、同社蔵の永享五年(一四三三)五月七日銘をもつ旗箱墨書銘に「美濃国武義郡安戸部郷牧村内御垂井」とある。
慶長郷帳では村高一八五石余・山年貢五石余。
御手洗村
みたらいむら
[現在地名]志免町御手洗
別府村の西に位置し、南西は席田郡下臼井村(現福岡市博多区)。別府村の枝村(元禄国絵図・天保郷帳)。慶安三年(一六五〇)別府村から分村したとされる(続風土記附録)。元禄五年(一六九二)には御手洗村の高一五六石余、うち畠高二石余(田圃志)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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