日本歴史地名大系 「御薗宇城跡」の解説 御薗宇城跡みそのうじようあと 広島県:東広島市高屋堀村御薗宇城跡[現在地名]東広島市高屋町高屋堀高屋堀(たかやほり)の東北の谷奥近くに位置する土居形式の城。城主は平賀氏。県指定史跡。比高二〇メートル足らずの丘陵にあり、中央に六〇メートルに五五メートルの最大の郭を置き、その南に郭を二段、東と西に土塁状の郭、北に詰丸にあたる郭をそれぞれ配する。築城時期は明らかでないが、元亨二年(一三二二)高屋保などを平賀兼宗に譲った尼きょうかん(貞泰の妻)は高屋に住したと伝え(「平賀氏系譜」同家文書)、兼宗も南北朝初頭には安芸で活躍しているので(建武三年一一月七日付「足利直義御感御教書」平賀家文書)、居館機能をも兼備した当城の形式とも合わせ、鎌倉時代末期には築かれていたと思われる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by