徳山本町(読み)とくやまほんまち

日本歴史地名大系 「徳山本町」の解説

徳山本町
とくやまほんまち

徳山城下の町地で、山陽道に沿って東から橋本はしもと町・こうじ町・さいわい町・佐渡さど町・油屋あぶらや町・野上のがみ町・江田ごうだ町の総称。一般には本町筋とよばれたが、「徳山毛利氏記録類纂」などには徳山町とある。

山陽道沿いの市町はすでに慶長一五年(一六一〇)検地帳野上郷に市屋敷として一一五が記され、寛永三年(一六二六)の熊野帳では市屋敷二〇四とある。慶安三年(一六五〇)徳山が城下町として発足した折、城下の町地として組み込まれ、武家地は少し離れて北側の地に建設され、さらにその北、金剛こんごう(岐山)の麓に居館(御館)が造られている。

本町筋七町の町名が定まったのは元禄一六年(一七〇三)であるが、それ以前は西の端にしのはし東の端ひがしのはし十一日市じゆういちにちいちなどの俗称でよばれていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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