日本歴史地名大系 「油屋町」の解説
油屋町
あぶらやまち
油屋町
あぶらやちよう
雲石路を東に折れた横町で、東は
元和五年広島城下絵図では町間数一町四〇間。寛永年間広島城下絵図によれば屋敷数五九、うち空屋敷五軒のほか油屋・油売・油絞を合わせて一九軒があった。寛永二年広島町数家数改め(済美録)では本家四五軒・借家四四軒。承応の切絵図では油売八軒、仲買七軒、油屋六軒、たばこ切五軒、作人四軒、大工・麹屋各三軒、つづら作・鑓屋・寺各二軒、その他一〇軒と計五二軒を載せる。「知新集」には町間数二丁八間五厘一毛、竈数七二(本竈二〇・借竈五二)、人数二四八(男一二九・女一一九)、うち本道医・眼医・針医各一人のほか、傘張四人、縫針細工師三人、鍛冶・大工各二人、左官・桶屋・更紗染各一人と計一四人の職人をあげる。
油屋町
あぶらやまち
油屋町
あぶらやちよう
油屋町
あぶらやちよう
油屋町
あぶらやちよう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報