徳川義宜(読み)とくがわ よしのり

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「徳川義宜」の解説

徳川義宜 とくがわ-よしのり

1858-1875 幕末大名
安政5年5月24日生まれ。徳川慶勝(よしかつ)の3男。叔父(おじ)徳川茂徳(もちなが)の養子となり,文久(ぶんきゅう)3年6歳で尾張(おわり)名古屋藩主徳川家16代。幼少のため父と執政の指導のもとに藩政にあたった。明治8年11月24日死去。18歳。初名は徳成(ながなり)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の徳川義宜の言及

【尾張藩】より

…尾張国(愛知県)名古屋に藩庁を置く親藩の大藩。徳川三家の一つ。1600年(慶長5)関ヶ原の戦後,清須城主福島正則に代わり,徳川家康の四男松平忠吉が入封したが,07年無嗣断絶。あとへ家康の9子徳川義直が甲斐より移封,翌年将軍秀忠の尾張一国を領知すべき旨の判物を受けた。しかし当時義直は幼少で駿府の父のもとにあり,国政は傅(もり)役の平岩親吉がとった。10年名古屋築城により,清須から士民を移住させた。11年親吉死去を機に,成瀬正成・竹腰正信を軸とした統治機構の整備,渡辺守綱・石河光忠ら幕臣の付属など,家臣団の形成が活発化した。…

※「徳川義宜」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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