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徳川茂徳 とくがわ もちなが

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美術人名辞典の解説

徳川茂徳

幕末・維新の大名。尾張藩主第十五代。松平義建の子、慶勝の弟。幼名は鎮三郎、初名は建重。一橋家を相続する。従二位に進んだ。明治17年(1884)歿、54才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

徳川茂徳 とくがわ-もちなが

1831-1884 幕末の大名。
天保(てんぽう)2年5月2日生まれ。松平義建(よしたつ)の5男。嘉永(かえい)3年美濃(みの)(岐阜県)高須藩主松平(尾張)家11代となる。安政5年謹慎処分をうけた兄徳川慶勝(よしかつ)の跡をつぎ,宗家の尾張(おわり)名古屋藩主徳川家15代。のち慶勝の処分が解けると,その子義宜(よしのり)に家督をゆずり,慶応2年一橋家をつぎ茂栄(もちはる)と改名。明治17年3月6日死去。54歳。初名は建重,のち義比(よしちか)。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

徳川茂徳

没年:明治17.3.6(1884)
生年:天保2.5.2(1831.6.11)
幕末の尾張(名古屋)藩主,一橋家当主。父は高須藩(岐阜県)藩主松平義建,兄に徳川慶勝,弟に松平容保,松平定敬がいる。安政5(1858)年7月慶勝が謹慎・隠居の処分を受けた後,尾張藩主となり藩論を佐幕の方向に導くが成功せず,文久3(1863)年8月隠居。以来将軍徳川家茂の側近にあって徳川慶喜と対抗した。慶応2(1866)年12月一橋家当主となり,慶応4(1868)年1月の鳥羽・伏見の戦ののち徳川宗家の救済に力を尽くした。

(井上勲)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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