徳永 徳寿
トクナガ トクジュ
- 職業
- 箏曲家
- 本名
- 中井 徳太郎
- 別名
- 別名=徳寿一,里朝
- 生年月日
- 安政2年 1月10日
- 出生地
- 大坂(大阪府)
- 経歴
- 幼少時に失明したため、10歳で生島検校門下の新八橋流箏曲家・岩島勾当に入門。さらに17歳の時には4代目津山春寿一(検校)の門下に移り、新生田流の箏曲を学んだ。明治15年三弦本手を伝授される。しかし、維新後に盲官制度が廃止されたため生活難に陥り、里朝の芸名で寄席に上がるようになった。21年東京に活動拠点を移し、22年には高座で歌った俗曲「縁かいな節」が大当たりをとった。
- 没年月日
- 昭和11年 7月15日 (1936年)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
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徳永 徳寿
トクナガ トクジュ
明治〜昭和期の箏曲家
- 生年
- 安政2年1月10日(1855年)
- 没年
- 昭和11(1936)年7月15日
- 出生地
- 大阪府
- 本名
- 中井 徳太郎
- 経歴
- 幼少時に失明したため、10歳で生島検校門下の新八橋流箏曲家・岩島勾当に入門。さらに17歳の時には4代目津山春寿一(検校)の門下に移り、新生田流の箏曲を学んだ。明治15年三弦本手を伝授される。しかし、維新後に盲官制度が廃止されたため生活難に陥り、里朝の芸名で寄席に上がるようになった。21年東京に活動拠点を移し、22年には高座で歌った俗曲「縁かいな節」が大当たりをとった。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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徳永徳寿 とくなが-とくじゅ
1855-1936 明治-昭和時代前期の地歌・箏曲(そうきょく)家。
安政2年1月10日生まれ。幼時に失明し,岩島勾当(こうとう)に入門,さらに4代津山検校(けんぎょう)に師事。維新後,盲官制度廃止のため生活が不安定となり,里朝の名で寄席に出演。明治22年東京の高座で俗曲「縁かいな節」をうたい,曲弾きをして評判となった。昭和11年7月15日死去。82歳。大坂出身。本名は中井徳太郎。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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