日本音楽の分類用語。1870年代(明治初期)の新造語で、時代によって定義は変わる。
(1)明治時代 宮廷や寺社で行われた雅楽に対し、庶民の音楽を総括する用語であった。すなわち、義太夫(ぎだゆう)、端唄(はうた)、常磐津(ときわず)などの三味線音楽や箏曲(そうきょく)、あるいは各種の大道芸やはやり歌などの総称。しかし家元制度の確立や音楽観の変化により、俗曲の範囲はしだいに狭まっていく。人気のあった歌い手は、菖蒲(あやめ)和佐之助、立花家橘之助(たちばなやきつのすけ)、徳永里朝(とくながりちょう)(徳寿(とくじゅ)、1855―1936)、西国坊明学(さいこくぼうめいがく)など寄席(よせ)の出演者である。
(2)大正から昭和前期 はやり歌を中心とする巷間(こうかん)の音楽。寄席の音曲(おんぎょく)や花柳界から派生した歌、さらに俚謡(りよう)(いまの民謡)などのレコード歌謡を含む。名をあげた歌い手は、天中軒雲月(てんちゅうけんうんげつ)、豊年斎梅坊主(ほうねんさいうめぼうず)(1854―1927)、吉原〆治(しめじ)、山村豊子、志賀廼家淡海(しがのやたんかい)、柳家雪江ら。
(3)昭和中期 ラジオの黄金時代であった1949年(昭和24)から5年間、ラジオ番組「俗曲の時間」は、端唄、うた沢、小唄、寄席の音曲などを取り上げたので、これら三味線小歌曲が俗曲だと誤解された。柳家三亀松(みきまつ)や西川たつ(1895―1959)が人気を集めたし、浅井丸留子(まるこ)(1891―1974)は独特の曲を残した。
(4)現代 定義があいまいであるばかりか、「俗曲」ということばすら一般的でなくなったが、次の6種を含んだ概念とみてよい。括弧内に代表的な曲を示すと、大道芸(深川、奴(やっこ)さん、かっぽれ)、門付(かどづけ)芸(法界節)、端唄以外のはやり歌(江戸から明治にかけて流行した大津絵、都々逸(どどいつ)、さのさ、東雲節(しののめぶし))、寄席の音曲(木更津甚句(きさらづじんく)、縁かいな、たぬき)、花柳界の歌(せつほんかいな、浅い川)、そのほか(角力(すもう)甚句、益田太郎冠者(ますだたろうかじゃ)の作品)。なお、「俗曲」の同意語に「俗謡」がある。これは民謡などの座敷唄化したものとみなして差し支えない。
[倉田喜弘]
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日本音楽の分類用語。明治初年の新造語で,雅楽に対して民謡,端唄,長唄,義太夫などの三味線音楽や,流行歌(はやりうた),箏曲など庶民の音楽を指した。明治中期以降は,寄席で演じる音曲の代名詞となった。代表曲は《深川》《奴さん》《大津絵》《かっぽれ》など。1950年代になって,端唄,うた沢,小唄など小歌曲の総称として,放送局が便宜的に用いたこともある。俗曲と俗謡はしばしば混用されてきたが,俗謡のほうがより漠然とポピュラーな歌を意味する場合が多い。
執筆者:倉田 喜弘
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…また,逆に都会地または特定の地域のはやりうたが他の地方に流伝して,各地に土着したものもある。これらのものは,現在では〈民謡〉という言葉で定義されるものに含まれるが,都会地成立の小編はやりうたである〈小うた〉〈はうた〉と区別して,〈俚謡〉〈俗謡〉などと称したこともあり,〈都々逸(どどいつ)〉〈とっちりとん〉など寄席の音曲として行われたものも含めて〈俗曲〉と呼ぶこともある。 なお,中国の民間音楽の伝来したもののうち,明楽ないし清楽または明清楽として伝承されたもの以外に,日本のはやりうた化したものもあり,とくに〈唐人踊〉の歌として,転訛(てんか)した日本語または日本語の替歌の詞章に変えられて流行したものもある。…
※「俗曲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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