徳永遺跡群(読み)とくながいせきぐん

日本歴史地名大系 「徳永遺跡群」の解説

徳永遺跡群
とくながいせきぐん

[現在地名]豊津町徳永

京都平野南部の沖積地を見下ろすはらい川東岸の河岸段丘上に立地する。連続した居屋敷いやしき遺跡・鋤先すさぎ遺跡・かわうえ遺跡・神手こうで遺跡の四遺跡からなり、縄文時代から江戸時代に及ぶ複合遺跡。昭和六三年(一九八八)から平成二年(一九九〇)までと、平成一二年・同一四年に発掘調査が実施された。縄文時代の遺構は遺跡群全体で落し穴計六三基が確認されている。弥生時代としては川ノ上遺跡で前期末から中期初頭と中期末、さらに終末期の集落跡が調査され、竪穴住居跡二〇軒と貯蔵穴三七基が発掘されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む