朝日日本歴史人物事典 「心越興儔」の解説
心越興儔
生年:崇禎12.8.21(1639.9.18)
江戸前期に来朝した中国の禅僧。杭州金華府(浙江省)の人。8歳で仏門に投じ,覚浪道盛などに参じたのち,曹洞宗の翠微濶堂に師事して法を嗣ぐ。延宝5(1677)年に長崎興福寺の明僧,澄一道亮の招きに応じて来日,同寺に住した。一時黄檗僧の告げ口で幽閉されたが,徳川光圀に難を救われ,水戸に至り,天徳寺(のち祇園寺と改名)を開山しそこに住す。曹洞宗寿昌派の祖で,詩文・書・篆刻・琴などに長じ,心越は号,東皐は別号であるが,刊本の『東皐心越禅師語録』が示す通り,東皐心越とも称される。<著作>『東皐全集』<参考文献>嶺南秀恕編『日本洞上聯灯録』
(志部憲一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報