心越興儔(読み)しんえつ こうちゅう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「心越興儔」の解説

心越興儔 しんえつ-こうちゅう

1639-1695 明(みん)(中国)の僧。
崇禎(すうてい)12年8月21日生まれ。曹洞(そうとう)宗。明がほろびたあと,延宝5年(1677)長崎興福寺の明僧澄一道亮(ちんい-どうりょう)にまねかれて来日。のち徳川光圀(みつくに)にむかえられて水戸天徳寺(のちの祇園(ぎおん)寺)の開山(かいさん)となる。詩文,書画,七弦琴にすぐれた。元禄(げんろく)8年9月30日死去。57歳。杭州(浙江(せっこう)省)出身。俗姓は蒋。法名ははじめ兆隠。号は東皐。著作に「東皐集」など。

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367日誕生日大事典 「心越興儔」の解説

心越興儔 (しんえつこうちゅう)

生年月日:1639年8月21日
江戸時代前期の来朝した中国の禅僧
1695年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の心越興儔の言及

【曹洞宗】より

…次に,真歇清了と兄弟弟子の宏智正覚(わんししようがく)の法系の東明恵日(えにち)(1272‐1340)や東陵永璵(えいよ)によって伝えられた,宏智派と通称される曹洞宗の一派があり,円覚寺や建仁寺を中心に五山文学界に重きをなし,また越前朝倉氏の外護を得て隆盛を誇ったが,朝倉氏の滅亡によりその法灯も絶えた。最後に,丹霞子淳と同門の鹿門自覚の系統で,1677年(延宝5)に日本に来朝した心越興儔(しんえつこうちゆう)(1639‐96)によって伝えられた曹洞宗の一派があり,徳川光圀の帰依を得て水戸祇園寺を中心に教線を展開し,曹洞宗寿昌派と称されたが,その法灯も数代にして絶え,祇園寺も道元派下の曹洞宗に編入された。【石川 力山】。…

※「心越興儔」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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