志多浦村
したのうらむら
[現在地名]豊玉町志多浦
佐保村の北、西面の綱浦から南に入り込んだ枝浦に臨む。「津島紀略」では志多乃宇羅と訓じ、府中(現厳原町)より一〇里一二町とある。地元では「したんな」と発音するが、ナ(奈)は対馬では浦の意で、下浦と記すのは地名の意を伝えるもの。中世は仁位郡のうち。応永六年(一三九九)一一月二五日の宗茂信宛行状(仁位郷判物写)に「二位こほりの内綱した」とみえ、当所などの畠地が綱弥次郎に給分として与えられた。「海東諸国紀」では「時多浦三百五十余戸」とあるが、これは志多賀(現峰町)に比定される。文亀二年(一五〇二)「したの浦田」が「おふさとかわら」「ふかいりの浦」などとともに仁位郡主宗職家から妙幢寺に寄進された(同年正月日「宗職家寄進状」仁位郷判物写)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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