志庄(読み)しづきのしよう

日本歴史地名大系 「志庄」の解説


しづきのしよう

現津名町ほぼ中央部一帯に比定される。養和元年(一一八一)一二月八日、京都新熊野いまくまの社領二八ヵ所に勅事・院事から臨時国役に至るまでの諸役賦課を禁じた後白河院庁下文案(新熊野神社文書)のなかに「淡路国 志筑庄」とみえる。「吾妻鏡」建久三年(一一九二)一二月一四日条によると、当庄はその後平家没官領となり、他の没官領一九ヵ所とともに源頼朝の妹である一条能保妻に与えられていた。同年能保は妻の死に伴ってこれらの所領を将来の紛争を防ぐために子供たちに分与し、去る一一月二八日宣旨を与えられたことが幕府に報告されている。貞応二年(一二二三)の淡路国大田文にも京都新熊野社領としてみえ、田一〇〇町、畠、浦二所からなっていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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