志津川町(読み)しづがわちよう

日本歴史地名大系 「志津川町」の解説

志津川町
しづがわちよう

面積:一二四・八五平方キロ

北上山地に連なる翁倉おきなぐら(五三二・四メートル)弥勒みろく(三〇六・一メートル)保呂羽ほろわ(三七二メートル)惣内そうない(三七九・六メートル)貞任さだとう(三六〇・三メートル)などに西から北を囲まれ、東は南三陸金華山みなみさんりくきんかさん国定公園に含まれる志津川湾が広がる。北は歌津うたつ町、西は登米とめ東和とうわ町・登米町、津山町、南は桃生ものう北上きたかみ町。

奥州藤原氏全盛時代には当地方にもその勢力が及んでおり、藤原秀衡の四男高衡が当地を領し、朝日あさひ館に拠って元良を名乗ったという。文治五年(一一八九)の奥州合戦ののち、千葉氏が朝日館を継承したと伝える。江戸時代には志津川村をはじめ八ヵ村があったが、北西部に位置する入谷いりや村を除きすべて海に面し、漁業への依存率が高かった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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