本吉郡(読み)もとよしぐん

日本歴史地名大系 「本吉郡」の解説

本吉郡
もとよしぐん

面積:三八二・五二平方キロ
津山つやま町・志津川しづがわ町・歌津うたつ町・本吉もとよし町・唐桑からくわ

県の北東端に位置し、西はおおむね北上山地に連なる山地、東はリアス海岸で太平洋に臨む。かつての本吉郡のうち北部に気仙沼けせんぬま市が成立したため、現在の郡は北は岩手県陸前高田りくぜんたかた(もと気仙郡に所属)、西は同県東磐井ひがしいわい郡と登米とめ東和とうわ町・登米とよま町・豊里とよさと町、南は桃生ものう郡桃生町・河北かほく町・北上きたかみ町に囲まれ、気仙沼市を挟んで北に唐桑町、南に本吉町・歌津町・志津川町・津山町がある。古代律令制下に本吉郡の成立はなく、大部分は桃生郡に含まれていたとみられる。

〔原始・古代〕

旧石器時代の遺跡は発見されていない。縄文時代の遺跡は、海岸台地上と北上川流域に貝塚が点在する。津山町の十所とどころ貝塚、唐桑町の藤浜ふじはま貝塚・古館こだて貝塚、本吉町の前浜まえはま貝塚、歌津町の田茂川たもがわ貝塚などで、田茂川貝塚からは石鏃の刺さった鯨骨が発見されている。藤浜貝塚は弥生時代の祭祀遺構を伴っており、新しい文化の当地方への流入を示すが、稲作があったか否かは明らかでない。古墳は七世紀の築造と推定される大谷おおや古墳群(三島古墳群)が本吉町の三島みしまにある。本吉郡唯一の高塚古墳群で、かつては二一基あったと伝えられるが、現在確認できるのは七基。内部構造は明らかでないが、勾玉・切子玉・小玉などが出土し、東京国立博物館に一括保管されている。内陸部の津山町では、奈良・平安時代の遺跡が発見されているが、海岸部にはない。

前述のように古代には本吉郡の建置はなかった。「和名抄」の桃生郡磐城いわき郷を郡内に比定する説があり、「延喜式」神名帳の桃生郡計仙麻大島けせまおおしま神社が現気仙沼市大島の大島神社にあてられる。平安後期この地域には本良もとよし庄が成立していた。なお「中右記」保安元年(一一二〇)六月一六日・一七日条などにみえる小泉こいずみ庄を本吉郡内に比定する説があるが、同書同年三月二三日条には「越後小泉庄」とあるので、同一の庄園として越後に比定するのが妥当であろう。

〔中世〕

文治五年(一一八九)奥州合戦の際の残党降人交名(「吾妻鏡」同年九月一八日条)に「本吉冠者高衡秀衡法師四男」とみえ、「吾妻鏡」同年一二月六日条に降人の配流先を記して「相摸国 高衡」とみえる。藤原高衡は本吉冠者と称していることから本良庄などの現地管理に当たっていたとみられる。同書同年九月二四日条には「平泉郡内検非違使所事、可管領之旨、葛西三郎清重賜御下文、(中略)清重今度勲功、殊抜群之間、(中略)剰伊沢・磐井・牡鹿等郡已下、拝領数ケ所」とあり、「余目記録」や「伊達正統世次考」は鎌倉御家人葛西清重の所領となった地域に当郡も含まれたと記している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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