志知城跡(読み)しちじようあと

日本歴史地名大系 「志知城跡」の解説

志知城跡
しちじようあと

[現在地名]三原町志知松本 城

三原町と西淡せいだん町の境、大日だいにち川西岸にある平城跡。築城は鎌倉時代の初め菅和泉守道忠によると伝える。室町時代以後菅氏は野口氏と称し、戦国期まで在城した(味地草)。天正四年(一五七六)一一月一〇日、野口孫五郎長宗が城跡東方の伊勢明神社を再興したことが同社の棟札によって確認できる。天正九年七月、土佐長宗我部氏の阿波侵攻によって野口氏が織田信長方につくと、同年九月には黒田官兵衛(孝高)が「志ちの城」に在城することを命じられた(九月一六日「羽柴秀吉書状」黒田文書)。同年一一月には羽柴秀吉淡路に進攻し岩屋いわや(現淡路町)などが落城している(信長公記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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