日本歴史地名大系 「志磨郷」の解説 志磨郷しまごう 京都府:山城国綴喜郡志磨郷「和名抄」高山寺本・刊本ともに訓を欠く。天暦二年(九四八)八月二〇日付官符(類聚符宣抄)に「綴喜郡嶋郷」がみえる。「新撰姓氏録」右京諸蕃下に「嶋史 高麗国人和興之後」とみえているのは、この志磨郷を本貫とする豪族であろうか。永久元年(一一一三)一二月日付玄蕃寮牒案(柳原家記録)に綴喜郡内の陵戸田として「草内中嶋十七坪一段」「草内中嶋一里卅五坪二段」「志万下村藍原里七坪三段北 草内中村里卅四坪一段二百歩 卅五坪二段」があげられており、「草内中嶋」の地名や「志万下村」と「草内中村里」が並べて書かれているところから、志磨郷は現田辺(たなべ)町大字草内(くさうち)の一帯であったように推測される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by