草内村(読み)くさじむら

日本歴史地名大系 「草内村」の解説

草内村
くさじむら

[現在地名]田辺町大字草内くさうち

西は防賀ぼうが川を興戸こうど村との境とし、西北ひがし村と接する。一望の平坦な水田地帯である。河内国から甘南備かんなび山麓普賢寺ふげんじ谷を経てきた街道は当村を通り、草内渡で木津川を越えて川東の奈良街道につながるが、さらに青谷あおだに川に沿って北東に進めば宇治田原うじたわら(現宇治田原町)を経て近江国に至る。

草内の地名は、永久元年(一一一三)一二月日付の玄蕃寮牒案(柳原家記録)に「草内中嶋」「草内中村」などとみえ、陵戸田が数ヵ所あったことが知られる。文永一一年(一二七四)頃の山城富野郷下知状目録(蓬左文庫所蔵金沢文庫本「斉民要術」裏文書)に「草智郷」の名がみえ、領主については明らかでないが、本補地頭が設置されていなかったことがわかる。

寛喜二年(一二三〇)八月日付の春日神人紀高綱陳状案(福知院文書)によると、巫女四郎なる者が水田一段を質物として紀高綱の利米を借りたが、数年経ても返せず能米一〇石代で高綱の所有となった。ところが巫女四郎がその田を「草内講衆」三〇人の仏物を借りる質物に入れていたため、高綱に権利があるけれども仏物のことなので、両三年講衆の領作を認めたうえで高綱が領掌することになっていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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