忠元神社(読み)ただもとじんじや

日本歴史地名大系 「忠元神社」の解説

忠元神社
ただもとじんじや

[現在地名]大口市原田

原田はらだ地区西部の高台にある。旧村社。大口地頭新納忠元(一五二六―一六一〇)の霊を祭神とし、勧請は天保一五年(一八四四)。天保年間の大飢饉の時に、農民らが大口筋脇の忠元の墓に祈願したところ霊験があり、以後農民らが家内安全や五穀豊穣を祈願するようになったことから、勧請された。社殿完成時には、鹿児島より係官吏と総社諏訪神社(現鹿児島市南方神社)の神官本田出羽守ら数十人が派遣され、遷宮の儀式が行われた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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