朝日日本歴史人物事典 「忠快」の解説
忠快
生年:平治1(1159)
鎌倉前期の天台宗の僧。平教盛の子に生まれ,平氏の生き残りとして『平家物語』の成立に深くかかわる。覚快法親王に入室し,慈円の弟子となって律師に任じられたが,平氏の都落ちに同道し,壇の浦で捕らえられ伊豆に流された。文治5(1189)年に流罪が解けて上洛すると再び慈円に師事し,建久6(1195)年には上洛した源頼朝に伴われて関東に下り鎌倉幕府に仕えた。平家一門の僧として平氏の怨霊を鎮めるために起用されたものである。その後は京と鎌倉を往復しながら,慈円が仏法興隆のために白河に建てた大懺法院の供僧となり,他方で源実朝の信頼を受けて祈祷を行い,その活動は弟子の小川僧正承澄の著『阿娑縛抄』に詳しく,台密小川流の祖となった。晩年は比叡山の横川の長吏となって権勢を振るった。<著作>『密談抄』<参考文献>五味文彦『平家物語 史と説話』
(五味文彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報