朝日日本歴史人物事典 「覚快法親王」の解説
覚快法親王
生年:長承3(1134)
平安後期の天台宗僧。鳥羽上皇の第7皇子で,七 宮,無品親王と呼ばれた。母は石清水八幡宮別当光清の娘美濃局。天台座主行玄に従って比叡山に入り,一身阿闍梨となる。法性寺座主,無動寺 検校のほか,成就院,宝荘厳院,法興院,極楽寺の別当を兼ね,嘉応2(1170)年に親王宣下。治承1(1177)年に座主明雲の配流に伴って同職を襲ったが,同3年に辞職した。建礼門院が安徳天皇を生んだ際に七仏薬師法を修し,その功として二品の位と牛車の宣旨を望んだが,守覚法親王に反対され,勧賞を弟子の円良 に譲った。行玄の創建した青蓮院の第2世門主としても知られる。
(岡野浩二)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報