忽那重清(読み)くつな しげきよ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「忽那重清」の解説

忽那重清 くつな-しげきよ

?-? 鎌倉-南北朝時代の武将
忽那重義長男伊予(いよ)(愛媛県)忽那諸島本拠とする水軍。後醍醐(ごだいご)天皇に呼応して挙兵足利尊氏が建武(けんむ)政権に反すると,足利軍の追討にあたる。建武3=延元元年(1336)尊氏が九州から京都にむかうと足利方に転じ,京都,安芸(あき)などでたたかった。通称弥次郎,次郎左衛門尉。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の忽那重清の言及

【軍忠状】より

…さらに敵の頸(くび)をいくつ取ったかを具体的に記した〈分取頸注文〉,味方が何人手負(ておい)(負傷)したかを書き記した〈手負注文〉などと称せられる文書の出現をみた。なお一連の軍忠状で大将側の証判が加えられた初見は1333年(元弘3)3月28日付の伊予国御家人忽那重清のものである(《忽那文書》所収)。軍功書【高橋 正彦】。…

※「忽那重清」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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