恒富郷(読み)つねとみごう

日本歴史地名大系 「恒富郷」の解説

恒富郷
つねとみごう

吉田郡内の郷の一つ。現在の常澄村一帯の地と思われる。一二世紀後半吉田郡を領した常陸平氏の吉田盛幹は郡を二分し、次男家幹に那珂川西岸から沼にかけての地域を伝えた。家幹は石川氏を名乗るが、その支配の中心は恒富郷だったと推定される。関東下知状写(吉田薬王院文書)

<資料は省略されています>

と記され、恒富郷内の「真美穴林村」は建保六年(一二一八)石川高幹から吉田社の神宮寺に寄進された。高幹は薬王院別当系図(吉田神社文書)に石川家幹の六男で「高幹 石(ママ)六郎 吉田・恒富両地頭」とあり、恒富郷は嘉元大田文に「四十四丁一段」とその田地を記録される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む