恒見村(読み)つねみむら

日本歴史地名大系 「恒見村」の解説

恒見村
つねみむら

[現在地名]門司区恒見町・恒見

吉志きし村の東に位置し、東は海に臨む。南部にとび山があり、大仏おおぶつ池などがあった。地名は宇佐宮の「国々散在常見名田」(宇佐大鏡)に由来すると考えられる。常見名田とは「治開田」あるいは「甲乙領主」よりの寄進地のことで、当地にも宇佐宮領が所在したのであろう。永禄四年(一五六一)の門司城合戦では当地は門司へ向かう大友勢の通路となり、同年一〇月一〇日の毛利隆元袖判児玉就方軍忠状写(萩藩閥閲録三)には「十月九日敵通路恒見」とみえる。元和八年人畜改帳に恒見村とあり、高三一八石余、家数七六、人数一九四(うち加子六・名子一六・川口番一・坊主二・社人一・笊かたげ商人二八)、牛一五・馬九、牛屋・馬屋一三。享保飢饉の餓死者を記したという小倉開善寺過去帳に二四五人がみえる。文政二年(一八一九)恒見浦で出火、一八〇軒が焼失(中村平左衛門日記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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