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悪路王 あくろおう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

悪路王 あくろおう

?-? 平安時代前期の蝦夷(えみし)の族長。
陸奥(むつ)平泉(岩手県)田谷窟(達谷窟)(たつこくのいわや)を拠点とする。延暦(えんりゃく)20年(801)征夷大将軍坂上田村麻呂とたたかい,敗れたという。阿弖流為(あてるい)が伝説化された人物ともいわれる。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

悪路王

生年:生没年不詳
平安前期,坂上田村麻呂や藤原利仁に滅ぼされたと伝えられる人物。蝦夷の族長阿弖流為(阿弖利為とも)の訛ったものとの見方もある。達谷窟(岩手県平泉町)を巣窟としたといい,これを討った田村麻呂は,そこに京の鞍馬寺を模して9間4面の精舎を建立し,多聞天の像を安置したと伝える。文治5(1189)年9月,源頼朝は平泉を攻撃し藤原泰衡らを討滅したあとこの窟に立ち寄り,田村麻呂の武勇譚を聞いている(『吾妻鏡』)。いま茨城県桂村の鹿島神社と同県鹿島町にある鹿島神宮には田村麻呂が納めたという悪路王の首級(木造)が伝えられており,前者は元禄年間(1688~1704),徳川光圀が修理したもの。これらの事実は,蝦夷社会に広がった鹿島神に悪路王の怨霊の慰撫が求められていたことを示すものであろう。

(瀧浪貞子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の悪路王の言及

【坂上田村麻呂】より

…【高橋 富雄】
[田村麻呂をめぐる伝承]
 田村麻呂が東山で僧延鎮(もと賢心)と会い,力をあわせて観音像を作り,仏殿を建ててこれを安置し清水寺と号したことは《清水寺縁起》(伝藤原明衡作),《今昔物語集》,《扶桑略記》などに見え,中世に入っても多くの書物に散見する。《吾妻鏡》は田谷窟(たつこくのいわや)(現,達谷窟)について述べる中に〈田村麿・利仁等の将軍〉が蝦夷征伐のとき,敵主悪路王(あくろおう)・赤頭(あかがしら)たちがこの窟に柵を構えたとし,のち,田村麻呂が窟前に堂を建て西光寺と号して,鞍馬に模して多聞天(毘沙門天)像を安置した(文治5年(1189)9月28日条)と伝える。《鞍馬寺縁起》に藤原利仁が鞍馬の毘沙門天の加護で下野国の群盗を平定した由が見えるから,《吾妻鏡》の記事は田村麻呂伝承が利仁伝承や鞍馬の毘沙門天信仰とも交渉をもっていたことを示している。…

【田村の草子】より

…利仁の名は《義経記》の冒頭に武勇の人としてみえる。同系の作に《鈴鹿の草子》があり,御国浄瑠璃(奥浄瑠璃)には《田村三代記》もあって,悪路(あくろ)王を主人公とする長大な語り物の存在が推測される。伝本も多い。…

※「悪路王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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