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阿弖流為 アテルイ

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

阿弖流為 あてるい

?-802 奈良-平安時代前期の蝦夷(えみし)の族長。
陸奥(むつ)胆沢(いさわ)(岩手県)を本拠に桓武(かんむ)天皇の軍に抵抗し,延暦(えんりゃく)8年征東大使紀古佐美(きの-こさみ)の軍におおきな打撃をあたえる。21年征夷(せいい)大将軍坂上田村麻呂(さかのうえの-たむらまろ)に降伏し,河内(かわち)(大阪府)で同年8月13日処刑された。大墓公(たものきみ)を称す。

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朝日日本歴史人物事典の解説

阿弖流為

没年:延暦21.8.13(802.9.13)
生年:生年不詳
8世紀後半,陸奥国胆沢地方(岩手県)を本拠とした蝦夷の首領。大墓公(「たいぼのきみ」とも)を称し,阿弖利為とも書く。跡呂井(水沢市)の地名を今に残す。延暦8(789)年3月,いわゆる巣伏村の戦で征東大使紀古佐美の率いる征討軍を大敗させたが,同21年,坂上田村麻呂が胆沢城を造営し始めると,これと戦うことなく,盤具母礼と共に一族五百余人を率いて投降した。田村麻呂に伴われて上京するが,田村麻呂の助命懇願はならず,ふたりは河内国杜山(比定地未詳)で処刑された。枚方市には怨霊を慰撫するために作られたという阿弖流為の首塚,胴塚がある。

(瀧浪貞子)

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大辞林 第三版の解説

あてるい【阿弖流為】

?~802) 平安初期の蝦夷の族長。北上川流域を支配。789年征東大将軍紀古佐美軍を破る。802年征夷大将軍坂上田村麻呂に降る。田村麻呂の助命にもかかわらず河内国杜山で斬殺された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

阿弖流為
あてるい
(?―802)

奈良末から平安初頭の蝦夷(えみし)の族長。大墓公阿弖利為(たいものきみあてりい)ともいう。789年(延暦8)に胆沢(いさわ)(岩手県南部)を対象とする朝廷の征夷軍の侵攻に対し、強力な抵抗戦を指導して多大の損害を与えた。しかし、征夷大将軍坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)による胆沢攻略戦の成功に伴い、802年4月に盤具公母礼(ばんぐのきみもれ)および同族500人とともに降伏した。田村麻呂は助命を主張するが、同年8月、母礼とともに河内国(かわちのくに)杜山(もりやま)(椙山(すぎやま)の誤りとし大阪府枚方(ひらかた)市に比定する説もある)で処刑された。田村麻呂伝説に、田村麻呂に滅ぼされた蝦夷の族長として登場する「賊主悪路(あくろ)王」(『吾妻鏡(あずまかがみ)』文治5年条など)が、阿弖流為と考えられている。[熊田亮介]
『神英雄著「蝦夷梟帥阿弖利為・母礼斬殺地に関する一考察」(日野昭先生還暦記念会編『歴史と伝承』所収・1988・永田文昌堂) ▽今泉隆雄著「三人の蝦夷」(門脇禎二編『古代日本国家の展開 上』所収・1995・思文閣出版) ▽新野直吉著『田村麻呂と阿弖流為』(2007・吉川弘文館)』

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世界大百科事典内の阿弖流為の言及

【桓武天皇】より

…その後も和気清麻呂らを中心に造営事業が続けられた。次に後者は,光仁朝末期の780年(宝亀11)陸奥国上治郡の大領伊治呰麻呂(いじのあざまろ)が反乱を起こして以来,大伴家持,紀古佐美(きのこさみ)らに率いられる征討軍は鎮定の功をあげることができず,ことに789年には蝦夷の将阿弖流為(あてるい)のために1000人余の死者を出して大敗するありさまであった。しかし天皇は渡来人系の坂上田村麻呂を抜擢して征夷大将軍とし,その巧妙な戦略によって801年(延暦20)奥地の胆沢地方まで平定できた。…

※「阿弖流為」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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