ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「感傷喜劇」の意味・わかりやすい解説
感傷喜劇
かんしょうきげき
sentimental comedy
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…1731年初演のG.リロの《ロンドンの商人》はイギリス最初の市民悲劇とされるが,ブルジョアを悲劇の主人公としたことや原則として散文で悲劇を書いたことは確かに画期的だった。喜劇も王政復古期の風習喜劇から教訓的な感傷喜劇に変わっていたが,この変化の根底には劇に実用性を求める中産階級の好みがあった。18世紀独自のジャンルには,ジョン・ゲイの《乞食オペラ》(1728)に始まるバラッド・オペラがあるが,これもイタリア風のオペラに対する庶民の批判のあらわれである。…
… ドイツではまずフランスの催涙喜劇の影響で,感傷劇Rührstückとよばれるジャンルが非常に流行した。イギリスでも18世紀には風習喜劇が衰えて,道徳的な感傷喜劇sentimental comedyなるものが主流になっていたが,ディドロとこのイギリス市民劇の影響を受けたG.E.レッシングは1755年に最初の市民悲劇《ミス・サラ・サンプソン》を,続いて《エミリア・ガロッティ》を発表した。これはいわば市民劇の頂点をなす作品であるが,レッシングは,アリストテレスの悲劇論を援用しつつ,恐怖と同情の念は,偉大な主人公よりむしろ観客に身近な市民を主人公にしたほうが起きやすいのではないかと考え,また登場人物の性格にも美点と欠点を混じえて,人物を黒白に描き分けることを避けた。…
…そして18世紀前半あたりから,都会よりも田舎を舞台にしたり,貴族よりもブルジョアを主人公にしたりする喜劇が多くなる。やがてこの傾向は,劇の教訓性を重視する感傷喜劇sentimental comedyの出現を招くに至るが,この変化の根底には,王政復古期の風習喜劇が過度に知的で非行動的であったのを否定して,行動性をもった劇を作り出そうとする動きがあった。 風習喜劇の代表的作品は,エサリッジGeorge Etheregeの《当世風の男》,W.ウィッチャリーの《田舎女房》,W.コングリーブの《世の習い》,G.ファーカーの《だて男の計略》,J.バンブラーの《逆戻り》などである。…
※「感傷喜劇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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